バンクーーバーーーーーーーオリンピック速報

どんどんいきます。まず一つ目、フィギュアの高橋選手の情報。

バンクーバー五輪フィギュアスケートは16日(日本時間17日)、パシフィックコロシアムで男子ショートプログラム(SP)を行い、高橋大輔(関大大学院)は90.25点の高得点をマークし、前回トリノ五輪の金メダリストで連覇を目指すエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)、昨季の世界王者で90.30点を挙げたエバン・ライサチェク(米国)に次いで3位に入りました。。織田信成(関大)は84.85点で4位、小塚崇彦トヨタ自動車)は79.59点で8位でした。。フリーは18日(日本時間19日)に行われます。
 これが日本男子陣のエースの力ですね。高橋がほぼ完ぺきな内容で滑り切り、観客を、審判を魅了ました!
 冒頭の3−3回転連続ジャンプを無難に降りると、続くトリプルアクセル(3回転半)も成功。情感豊かなステップも見せ、美しいスピンで氷上を彩りました。昨年12月のグランプリ(GP)ファイナルでマークした自己ベスト(89.95点)を上回る90.25点。前回トリノの金メダリスト、エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)とはわずか0.60点差です!
 右ひざ前十字靱帯(じんたい)断裂の手術から復帰した今季、スタミナ面に不安はあるが、演技時間の短いショートプログラム(SP)は好演技が多いですね。SP曲は日本のアコーディオン奏者、coba(コバ)の「eye」で、「ここという見せ場はないが、全体を通して男らしさ、男性の魅力を出せる演技をできたら」と演じてきました。哀愁を帯びたアコーディオンの音色が大人のムードを醸し出し、「男の色気」を漂わせる高橋に合ったプログラムでした。
 手術後のリハビリで股(こ)関節や足首が柔らかくなり、「下(半身)から上へ力の伝わり方が以前と違う」といいます。以前は苦手だったスピンでしたが、今は得意にしているそうです。この日もスピンは3種類とも最高のレベル4認定を受けたそうです。
 前回トリノ五輪では8位入賞。「4年前は五輪の重みを分かっていなかった。大会期間中、心ここにあらずだった」と振り返っています。その時に優勝したプルシェンコ、銀メダルのステファン・ランビエル(スイス)の元世界王者がともに今季復帰し、この2人と今大会が今季初対決。GPシリーズ中は「プルシェンコは次元が違う。戦う気がうせそうになった」とやや弱気でしたが、互角の展開に持ち込むことに成功したということです。
 高橋は「五輪はこれが最後」と位置づけます。その言葉通りなら18日のフリーは五輪最後の演技。目標に掲げる「五輪金メダル」に向け、視界は開けているようです。さすが高橋選手。

お次はカーリングです。

 第10エンド、最後の1投を残して、ハウスの中には5つの石が入っていました。No.1ストーンは日本、No.2が米国。スコアは日本の1点リード。
 米国のスキップ、デビー・マコーミックの最後の1投は、日本のNo.1だけをヒットして外した――ように見えました。だが外し切れなかったんですね。後ろの石に当たって、中央から約20センチの位置に残ったんです。米国のNo.2だった石も、中央から20センチほど。どちらが近いか肉眼では判断できず、審判によるメジャー計測になったそうです。
 米国の石が近ければ、同点で延長戦になります。両国がそれぞれ輪になって結果を待ちました。日本のスキップ目黒萌絵みちのく銀行)は「私は(肉眼で見て)ガッツポーズしたけどね」とつぶやいたそうで。結果は、目黒の言う通りでした。審判は日本の石をNo.1だと指さしました。
 第10エンド、メジャー計測による決着という、まさしく紙一重の勝利。だがこれは、日本にとって二重の意味で重要な勝ち星だったそうです。
 一つは、第4エンドを終わって1−4の劣勢から挽回した勝利だったこと。もう一つは、日本としては4度目の五輪で、初めて初戦に勝ったということですね。
 前回のトリノ五輪も、前々回のソルトレークシティー五輪も、初戦は前半でリードしながら、逆転負け。そこから大会序盤でつまづく形となりました。今回、初戦で当たった米国は昨年世界選手権9位だから、絶対に勝っておきたい相手でした。いや〜、よかった。

ハイ最後はスノーボードです。
公式練習中の転倒で頭部を強打した影響で、16日のスノーボードクロス女子をレース直前に棄権した藤森由香アルビレックス新潟)。19歳で7位入賞を果たしたトリノ五輪以上の成績も視野に入れていただけに、悔いが残るアクシデントとなりました。
 競技開始前、コースの試走を終えた藤森はふらついたように尻もちをついてしまいました。藤森と言葉を交わした萩原文和監督は困惑の表情で「『思うように動いていないのは緊張しているから。どこも悪くない』と言うんですよ」。本人は出場を直訴したものの、実際は目の焦点が定まらない状態。激しい接触が当たり前の競技に臨むのは無理でした。
 藤森は「4年前と比べて変化したのは体力面」と自信を見せていました。体幹を鍛えてバランスが安定。障害物をクリアする高い技術とかみ合った滑りで、昨年9月にはワールドカップで自己最高の5位。腰椎(ようつい)突起の骨折も克服し、2度目の五輪へ万全のはずでした。
 「悔いなく百パーセントの力で滑りたい」と見据えてきた舞台を迎えることはできなかったが、まだ23歳と若い。上島しのぶコーチは「次のチャンスはある。今回は正しい判断だった」と、エースの将来に期待しました。残念ですが、次のチャンスで頑張ってほしいですね。

明日もガンババンオリ日代!